2012年6月2日土曜日

【新体道理解のための古典】老子道徳経 道経 賛玄第十四











新体道は、ある一貫された思想に基づいて成り立っています。 


それを、【天真思想】と言います。 


この思想ですが、非常に深い、そして数多い、
創始者・青木宏之の宗教体験や思索から生まれたものです。
いわゆる聖典やかっちりした体系のようなものは有りませんが、きちんと存在しています。宗教、武道、芸術の純粋な部分のみを取り出したと言っても過分では有りません。 


当然ながら、教団? の様なものは無いし、新体道をやるからと言って改宗しろ!なんてことも有りません。まず天真思想がその他の宗教の教義等に抵触することはないでしょう。 


ただそのためか理解が難しいと言う側面もあります。 


新体道では、その理解を深めるために、古典を読むことを推奨しています。 


古典は古典であるが故に解釈が難しい側面もあります。また私の理解する範囲で解説等をしても、誤解が生じますので、原文(可能な限り)と現代訳、(一部私の感覚で訳しています)参考文献等を引用するにとどめたいと思います。 

☆~…*※☆☆~…*※☆☆~…*※☆ 


賛玄第十四

視之不見、名曰夷。
聽之不聞、名曰希。
摶之不得、名曰微。
此三者。不可致詰、故混而爲一。
其上不☆、其下不昧。繩繩不可名、復歸於無物。是謂無状之状、無物之象。是謂惚恍。
迎之不見其首、隨之不見其後。執古之道。以御今之有。能知古始。是謂道紀。

☆は白へんに激のつくりでキョウ…曇りの無い白、白目





(読み下し文)
これを視(み)れども見えず、名づけて夷(い)と曰(い)う。
これを聴けども聞こえず、名づけて希と曰う。
これを摶(とら)うるも得ず。名づけて微(び)と曰う。
此の三つの者は詰(きつ)を致すべからず。故(もと)より混じて一と為る。
其の上はあきらかならず、是れを無状の状、無物の象(しょう)と謂い、是れを恍惚と謂う。
これを迎うるも其の首(こうべ)を見ず、これに随うともその後(しりえ)を見ず。古(いにしえ)の道を執(と)りて、以って今の有を御(ぎょ)すれば、能(よ)く古始(こし)を知る。是を道紀と謂う。



(だいたいの意味)

しっかりと見ないから、何も見えない。
それは形のないものと呼ばれる。
しっかりと聞かないから、何も聞こえない。
それは音がないものと呼ばれる。
しっかりとつかまないから、何もつかめない。
それは実体のないものと呼ばれる。
これら三つをつきつめることはできず、混ざりあって一つになっている。
上にあっても明るくなく、下にあっても暗くない。
目に見えず、どんな名前でも呼びようがない。
それはまた無にもどって行く。
それは形のない形と呼ばれ、イメージのうかばない形と呼ばれる。
それはつかまえにくいものである。
近づいて行ってもその顔は見えず、ついて行ってもその後ろ姿は見えない。
遠い過去の「道」をつかまえ、現在あるものを制御すると、原始の始まりが理解できる。
これが「道」の本質である。




<英訳>
http://www.chinapage.com/gnl.html


14. Mystery
Looked at but cannot be seen - it is beneath form;
Listened to but cannot be heard - it is beneath sound;
Held but cannot be touched - it is beneath feeling;
These depthless things evade definition,
And blend into a single mystery.

In its rising there is no light,
In its falling there is no darkness,
A continuous thread beyond description,
Lining what can not occur;
Its form formless,
Its image nothing,
Its name silence;
Follow it, it has no back,
Meet it, it has no face.

Attend the present to deal with the past;
Thus you grasp the continuity of the Way,
Which is its essence.



<英訳/参考>
http://www.chonmage-eigojuku.com/magetan/roushi01.html

Things that we cannot see, I call them "the obscure".
Things we cannot hear, I call them "the faint".
Things we cannot catch, I call them "the subtle".
We cannot sense these and these are originally the same one.
The space above it is not bright. The space below it is not dark.
I cannot name it because it is too vague.
It returns to nothingness in the end.
I call it, for convenience' sake, "appearance of no appearance", "form of the formless" or just "the vague".
You cannot see its face even if you meet it. You cannot see its back even if you follow it. If you observe the present time with "the way" from ancient time, you can understand the origin of things. This is the start of "the way".

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参考サイト
http://nam-students.blogspot.com/2009/10/blog-post_23.html
http://www.chonmage-eigojuku.com/
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☆~…*※☆☆~…*※☆☆~…*※☆ 

三鷹稽古会は、
月曜日 19時~20時45分

三鷹駅より徒歩5分ほど、南口を出て「風の散歩道」を歩いてください。フランス料理店を過ぎ、骨董品屋さんの手前を右に曲がります。左手に見える「沙羅舎」こちらの地下「舞遊空間」をお借りしています。





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ほびっとむら稽古会は、
月一回火曜日 19時~20時45分

西荻駅より徒歩5分ほど、南口を出て左へ、南北に走る通りから、銀行の角を曲がり荻窪方面へ。喫茶店をすぎ、八百屋さんのある通建物の3階本屋さん「なわプラサードの奥のお部屋です。







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国立稽古会は、
木曜日 19時~20時45分

国立駅より徒歩7~8分ほど。

南口を出てロータリーから「あさひ通り」を歩いてください。コンビニエンスストアの角を左に曲がります。左手のスポーツジム、カラオケ屋さん、右手に見えるNTTを過ぎてさらに進み、皮膚科を過ぎると、「東地域防災センター」の縦看板が腰ぐらいの高さに見えます。そこを右手に入って奥「東地域防災センター」こちらの2階を主にお借りしています。

※注意※会場は変わることがあります。


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新体道・東京西地区新体道連盟
~武道・瞑想・滝行~
曽根田 敦志 SONEDA Atsushi
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