2012年4月30日月曜日

空間





新体道は空間を意識する事が多いです。




そういう瞑想法もありますし、新体道の体系が空間を意識せざるを得ないように出来ています。




大いなる広がりこれを感じる事がとても大事です。




私は、すべてありとあらゆるものには、全てを包括するように広がり続ける働きがあり、その働きの様は、水に石を落とした時幾重にも広がる波紋のようでもあるように思います。 


私も、路傍の石も、彼も、野良犬も、漂う空気の分子・原子も本来広がり続けている。広がる事でかかわっている。関わり合いながら存在している。 




その広がろうという力を出し切ったときが、死です。外に出して出して出し切ってゆく。花が際限なく開き続けるように、空間に向かって広がろうとしている。



我々は空間になろうとしている。一切を包括する空間に。というより、既に空間である。そんな自分を感じられたら人生は変わります。




全体知(こんな言葉があるのかは知りませんが … )を獲得するのでなく。全体知になる、である、という状態になる事ですべての営みのナゾが解けるのじゃないでしょうか。それはまさしく、自分が空間である事です。普遍の存在であると言う事でもあります。




わかった風に書いてますが、最近こんな風に思います。 




☆~…*※☆☆~…*※☆☆~…*※☆


三鷹稽古会は、
月曜日 19時~20時45分

三鷹駅より徒歩5分ほど、南口を出て「風の散歩道」を歩いてください。フランス料理店を過ぎ、骨董品屋さんの手前を右に曲がります。左手に見える「沙羅舎」こちらの地下「舞遊空間」をお借りしています。





………・・・………・・‥………・☆.:*:・'゜

ほびっとむら稽古会は、
月一回火曜日 19時~20時45分

西荻駅より徒歩5分ほど、南口を出て左へ、南北に走る通りから、銀行の角を曲がり荻窪方面へ。喫茶店をすぎ、八百屋さんのある通建物の3階本屋さん「なわプラサードの奥のお部屋です。







☆~…*※☆☆~…*※☆☆~…*※☆

国立稽古会は、
木曜日 19時~20時45分

国立駅より徒歩7~8分ほど。

南口を出てロータリーから「あさひ通り」を歩いてください。コンビニエンスストアの角を左に曲がります。左手のスポーツジム、カラオケ屋さん、右手に見えるNTTを過ぎてさらに進み、皮膚科を過ぎると、「東地域防災センター」の縦看板が腰ぐらいの高さに見えます。そこを右手に入って奥「東地域防災センター」こちらの2階を主にお借りしています。

※注意※会場は変わることがあります。


…………………………
新体道・東京西地区新体道連盟
~武道・瞑想・滝行~
曽根田 敦志 SONEDA Atsushi
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2012年4月29日日曜日

【新体道理解のための古典】虚堂智愚和尚十病論


 新体道は、ある一貫された思想的に基づいて成り立っています。


それを、【天真思想】と言います。 この思想ですが、非常に深い、そして数多い、創始者青木宏之の宗教体験や思索から生まれたものです。


いわゆる聖典やかっちりした体系のようなものは有りませんが、きちんと存在しています。宗教、武道、芸術の純粋な部分のみを取り出したと言っても過分では有りません。 当然ながら、教団? の様なものは無いし、新体道をやるからと言って改宗しろ!なんてことも有りません。まず天真思想がその他の宗教の教義等に抵触することはないでしょう。 ただそのためか理解が難しいと言う側面もあります。


 新体道では、その理解を深めるために、古典を読むことを推奨しています。 古典は古典であるが故に解釈が難しい側面もあります。


また私の理解する範囲で解説等をしても、誤解が生じますので、原文(可能な限り)と現代訳、(一部私の感覚で訳しています)参考文献等を引用するにとどめたいと思います。
英訳も載せています。私が勝手に訳しました。間違ってたら、穴でも掘って「バッカジャネ〜ノ」とつっこんでください。私に教えてくださる必要はありません(笑

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

      
「虚堂智愚和尚十病論」
虚堂智愚和尚(南宋臨済宗の巨匠にして、大応国師(大燈国師の師)の師である虚堂智愚。その語録は、中世日本の禅林で最も広く読まれ、日本禅に強い影響を与えた)。は,人生や仕事がうまくいかない時に陥る原因は「心」にあるとして、10の心の病を示しておられます。これを「虚堂智愚和尚十病論」といいます。

第一の病は 自信の及ばざる処にあり
(失敗からも成功からも学べていない)
Not also learn from the success from failure

第二の病は 是非得失の処にあり 
(目先の報酬にとらわれること)
Cling to short-term reward
 
第三の病は 我見偏執の処にあり 
(自分の偏見によって動けないこと)
Have a prejudice

第四の病は 限量かきゅうの処にあり
(かきゅうとは鳥の巣のことで、固定観念によって「こうあるべき」と決め込むこと)
Judging by stereotype

第五の病は 機境不脱の処にあり
(心が自由に働かず、視点を変えられないこと)
Not change the view

第六の病は 小を得て足れりとなす処にあり
(小さな満足に甘んじること)
Be satisfied with little success

第七の病は 一師一友の処にあり
(交際や知識の範囲が狭いこと)
Few friends

第八の病は 旁宗別派の処にあり
(一つの理論に凝り固まること)
Be fanatical to a particular theory

第九の病は 位貌拘束の処にあり
(見栄や外見にとらわれること)
Put on airs

第十の病は 自大了一生不得の処にあり
(慢心が起これば一生涯何も得るものがない)
Ego will stop the growth of all

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☆~…*※☆☆~…*※☆☆~…*※☆


三鷹稽古会は、
月曜日 19時~20時45分

三鷹駅より徒歩5分ほど、南口を出て「風の散歩道」を歩いてください。フランス料理店を過ぎ、骨董品屋さんの手前を右に曲がります。左手に見える「沙羅舎」こちらの地下「舞遊空間」をお借りしています。





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ほびっとむら稽古会は、
月一回火曜日 19時~20時45分

西荻駅より徒歩5分ほど、南口を出て左へ、南北に走る通りから、銀行の角を曲がり荻窪方面へ。喫茶店をすぎ、八百屋さんのある通建物の3階本屋さん「なわプラサードの奥のお部屋です。







☆~…*※☆☆~…*※☆☆~…*※☆

国立稽古会は、
木曜日 19時~20時45分

国立駅より徒歩7~8分ほど。

南口を出てロータリーから「あさひ通り」を歩いてください。コンビニエンスストアの角を左に曲がります。左手のスポーツジム、カラオケ屋さん、右手に見えるNTTを過ぎてさらに進み、皮膚科を過ぎると、「東地域防災センター」の縦看板が腰ぐらいの高さに見えます。そこを右手に入って奥「東地域防災センター」こちらの2階を主にお借りしています。

※注意※会場は変わることがあります。


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2012年4月27日金曜日

【新体道理解のための古典】般若心経

 新体道は、ある一貫された思想的に基づいて成り立っています。


それを、【天真思想】と言います。 この思想ですが、非常に深い、そして数多い、創始者青木宏之の宗教体験や思索から生まれたものです。


いわゆる聖典やかっちりした体系のようなものは有りませんが、きちんと存在しています。宗教、武道、芸術の純粋な部分のみを取り出したと言っても過分では有りません。 当然ながら、教団? の様なものは無いし、新体道をやるからと言って改宗しろ!なんてことも有りません。まず天真思想がその他の宗教の教義等に抵触することはないでしょう。 ただそのためか理解が難しいと言う側面もあります。


 新体道では、その理解を深めるために、古典を読むことを推奨しています。 古典は古典であるが故に解釈が難しい側面もあります。


また私の理解する範囲で解説等をしても、誤解が生じますので、原文(可能な限り)と現代訳、(一部私の感覚で訳しています)参考文献等を引用するにとどめたいと思います。

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仏説摩訶般若波羅蜜多心経 (玄奘三蔵訳を元にした流布本)
 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是  舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中  無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法  無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽  乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得  以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故  心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想  究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故  得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多  是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪  能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪  即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦  菩提薩婆訶 般若心経 

(和訳/。wikipedia.wikisourceより引用)
 観音菩薩が、深遠なる「智慧の完成」を実践していた時、
 〔命ある者を構成する〕五つの集合体(五蘊)は、みな自性が空であると明らかに見て、すべての苦悩から解放された。
 「シャーリプトラよ、 色は空性である。 空性であるものは色である。 色は空性に異ならない。 空性は色に異ならない。 感覚(受)、概念(想)、志向作用(行)、識別作用(識)もまた同様である。 〔すなわち、感覚は空である。概念は空である。志向作用は空である。識別作用は空である。〕
 シャーリプトラよ、 すべての現象は空の相〔を持つもの〕であるから、 不生、不滅であり 不垢、不離垢であり 不増、不減である それゆえに空〔の立場〕においては、 肉体(色)も無く、感覚(受)、概念(想)、志向作用(行)、識別作用(識)も無い(自性を欠く) 六つの感覚器官(眼耳鼻舌身意)も無く、 六つの感覚対象(色声香味触法)も無い 眼で見た世界も無く、意識で想われた世界も無い 〔苦の根源である〕"無明"もなく、"無明"の滅尽も無い "老いと死"も無く、"老いと死"の滅尽も無い 「これが苦しみである」という真理(苦諦)も無い 「これが苦しみの集起である」という真理(集諦)も無い 「これが苦しみの滅である」という真理(滅諦)も無い 「これが苦しみの滅へ向かう道である」という真理(道諦)も無い 知ることも無く、得ることも無い もともと得られるべきものは何も無いからである
 菩薩たちは、「智慧の完成」に依拠しているがゆえに 心にこだわりが無い こだわりが無いゆえに、恐怖も無い 顛倒した認識によって世界を見ることから遠く離れている。 
三世の仏たちも「智慧の完成」に依拠するがゆえに 完全なる悟りを得るのだ。
 それゆえ、この「智慧の完成」こそは 偉大なる神秘的な呪文であり、 偉大なる光輝ある呪文であり、 超えるものなき呪文であり、 並ぶものなき呪文である。 すべての苦しみを除いてくれ、 真実であり、偽りなきものである。 
では、「智慧の完成」をあらわす呪文を示そう、 "ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スワーハー" (往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に正しく往ける者よ、 〔聖なる仏母である〕菩提〔女尊〕よ、ささげ物を受け取り給え)

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 もう少し簡単な言い回しの訳

 自由自在に全てのことを理解しておられる観自在菩薩が 般若波羅蜜多を深く行じられる時、
全世界をつくりあげている要素、つまり五蘊 (五蘊とは、色、受、想、行、識。蘊は肉体を含む物質的構成要素のこと) に知覚の光を照らされてみると、それら五蘊は 全て空であること、したがって、すべての苦悩と災害を克服できると、わかったのです。

 舎利子よ、色(形あるもの、森羅万象すべて) は、実は、空 (形に表すことができない世界) に異ならないし、空は 実は、色に異ならないし、色は即ち、これ空であるのです。 

受想行識 (受想行識とは 受=感受作用、想=表象作用、 行=意志作用、 識=認識作用) もまた 相応して、同様に空なのです。 それらは生じることもなく、減るものでもありません。 穢れているものでも きよらかであるものでもないのです。 

 ですから、何にもないという範囲の中では、形あるものは何もなく、思う事も、想像する事も、感じる事もないのです。 

 眼も、耳も、鼻も舌も肉体も心もないのです。 

眼に見えるものとか、耳から聞こえてくるものとか舌で味わうものとかいった身体で触れるものや、心で感じられるものも、一切ないのですよ。 

 眼に見える世界から、心で感じる世界にいたるまで何にもありません。 

 苦しみの原因となる十二因縁(十二因縁とは 無智、潜在的形成力、認識作用、精神と肉体、眼、耳、鼻、舌、身、意の六つの感覚、心が物に接触すること、 感受作用、愛欲、執着、生存、老死 )というものがないのです。 

 もともと無智というものがないのですし、無智がなくなるということもありませんし、また、老死といったものもなく、老死が尽きるということもないのですから。 四つの真理、つまり、四締=苦集滅道 (四締とは 苦締=人生は苦であるという真理、集締=苦悩の原因は人間の欲望や、愛着の心にあるという真理、また、集めたもの、財宝などへの愛着が苦悩の原因となる真理)、滅締=苦悩の原因である煩悩が完全になくなった状態。仏教の目指す理想郷は涅槃にあるという真理、 道締=理想郷である涅槃に到達するための実践方法をといた真理) もありません。

 智もなければ 悟りもありません。 なぜなら、智を得るところがないからです。 

悟りを求めて修行する人は 完全なる英知、般若波羅蜜多に依るが故に、心にわだかまりがありません。 わだかまりがない故に、恐れも全くないのです。  すべての顛倒(顛倒とは 常顛倒= 無常である自分の命.身体が、いつまでも元気でいられるという錯覚、 楽顛倒=苦に満ちた世の中で、人生は楽であるという錯覚、 我顛倒=無我の身である自分を我ありとみる錯覚、 浄顛倒=汚れた身である自分を清浄であるとみる錯覚) や これらを 夢のように想い描くことから解き放たれるので、ニルバーナ、つまり涅槃(ニルバーナとは 梵語でニルバーナの音を写した語、絶対的な心の安らぎの境地) 入ることができるのです。

 過去、現在、未来の三世にわたってある さまざまな仏様は 般若波羅蜜多に依るが故に、この上なく正しくて普遍的な英知を得られたのです。 

 そして、そのようにして、般若波羅蜜多は偉大にして神聖な真言、つまり、偉大にして知恵のある真言であること、無類の真言、他と比べようがないほどの真言であるということを知らねばなりません。  それは 一切の苦をうまく除くことができます。 それは真実で、誤りがありません。 そして、そこで、般若波羅蜜多の呪をとなえます。 

すなわち、次のようにその真言をとなえます。 

 ぎゃてい、ぎゃてい、はらぎゃあてい、はらそうぎゃてい、ぼじそわか はんにゃしんぎょう ( 行くものよ、行くものよ、彼岸に行くものよ、彼岸に行ものよ、悟りよ、幸いあれ。

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 えっと、ついでに英訳E. Conzeと言う方が訳したそうです。

 THE HEART SUTRA 

Om Homage to the Perfection of Wisdom the Lovely, the Holy ! 
Avalokita, the Holy Lord and Bodhisattva, was moving in the deep course of the Wisdom which has gone beyond. 

He looked down from on high, He beheld but five heaps, and He saw that in their own-being they were empty. 

Here, O Sariputra, 

form is emptiness and the very emptiness is form ; 

emptiness does not differ from form, form does not differ from emptiness, whatever is emptiness, that is form, 

the same is true of feelings, perceptions, impulses, and consciousness. 

Here, O Sariputra, 

all dharmas are marked with emptiness ; 

they are not produced or stopped, not defiled or immaculate, not deficient or complete. 

Therefore, O Sariputra, 

in emptiness there is no form nor feeling, nor perception, nor impulse, nor consciousness ; 

No eye, ear, nose, tongue, body, mind ; No forms, sounds, smells, tastes, touchables or objects of mind ; No sight-organ element, and so forth, until we come to : 

No mind-consciousness element ; There is no ignorance, no extinction of ignorance, and so forth, until we come to : There is no decay and death, no extinction of decay and death. There is no suffering, no origination, no stopping, no path. 

There is no cognition, no attainment and no non-attainment. 

Therefore, O Sariputra, 

it is because of his non-attainmentness that a Bodhisattva, through having relied on the Perfection of Wisdom, dwells without thought-coverings. In the absence of thought-coverings he has not been made to tremble, 

he has overcome what can upset, and in the end he attains to Nirvana. 

All those who appear as Buddhas in the three periods of time fully awake to the utmost, right and perfect Enlightenment because they have relied on the Perfection of Wisdom. 

Therefore one should know the prajnaparamita as the great spell, the spell of great knowledge, the utmost spell, the unequalled spell, allayer of all suffering, in truth -- for what could go wrong ? By the prajnaparamita has this spell been delivered. It runs like this : 

gate gate paragate parasamgate bodhi svaha. 

( Gone, gone, gone beyond, gone altogether beyond, O what an awakening, all-hail ! -- ) 

This completes the Heart of perfect Wisdom. 

(Translated by E. Conze) 
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☆~…*※☆☆~…*※☆☆~…*※☆


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月曜日 19時~20時45分

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国立稽古会は、
木曜日 19時~20時45分

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