2012年4月21日土曜日

ココ、カラ始まるスイッチ

この記事は、本家ブログに書いた記事にちょっと変更と追加をしたものです。


私は人間に対してかなり機械論的な見方してます 



結局人間て反応の産物なんじゃないかなって。人間は自分で思ったほど誰も自覚的、自発的になんて生きてないし、その自覚なんてものも、当てにはならないですね。



人間には、真の自発的思考と言うのはあるのかな? というのが、長い事疑問でしたし、今も疑問です。




ところでよく「いまここに、自覚的に生きる」なんて言いますけど、「いまここ」と言った瞬間に過去な訳で(笑)もうそんなの「いまここ」じゃない。心で、意識で「いまここ」なんて捉えられるわけがありません。そんなの欺瞞です。 




また「いまここ」を捉えているのは、感覚と言うか、五感を通じて脳が外界を把握しているから、いまここを感じる事が出来るんじゃないでしょうか? デモ、いまここを感じた瞬間は、既に過去ですよ、だって、目や耳から入って来た情報だって瞬時に脳に達する訳じゃないですから。




まあいいや、難しい事は横に置いといて 




じゃあもし「いまここ」に生きるとかいう事ができたとして、その正体って何でしょうね?

ところで座禅でも、ヨガでも、もちろん新体道でも「姿勢」について、かなりやかましく言います。これはもう、姿勢が決まってしまえば、「心は無になるから」だとハッキリ言われているからです。 


それと、断食をしたり、激しい滝行したりすると、無を経験します。 


この辺りの見方はかなりクールというか、機械論的ですよね、心なんて関係がない。 
善行を積もうが、悪行三昧であろうが、どのように生きようが機械的に「無」を経験する事が可能だと言う事でしょう? 


無って何? って言うのはまた壮大なテーマなんですが、簡単に言えば心の作用が無い、だからいままで心の作用であれやこれや考えて、見えてこなかったものが見えている状態だって思います。 




言ってみれば、心が邪魔して、本質を覆い隠しているわけですよね。つまり、私たちの「心」と言うのは本質的な何かとは無関係だってことですよね。後から出来た、っていうか生まれたものでしょう? どこから生まれたんでしょうね? 私ね、外界からの刺激によって生まれたんじゃないかと思ってるんですね。 でそれが情報として脳にたまってるんです。




フロートカプセルっていうプカプカ浮く、刺激が極端に少ない液体のお風呂に浮かぶと、しばらくの間はもの凄い勢いでいろんな事が思い浮かぶそうです。ありもしない幻覚や皮膚感覚を感じたりもする。あと、夜真っ暗闇の中にいたりすると、存在しない様なお化けみたりするでしょう? 多分刺激が少なくなった分、脳がバランスとろうとして、過去の記憶から情報を引っ張り出しているんじゃないかと思うんですよ、私。



脳と言うのは、外界からの情報が無いと言う状態に耐えられないんじゃないですかね。だから創り出しちゃう。



ところが人間と言うのは凄いもので、条件を揃えると機械的に、心が無くなっちゃう。 


で、なんですが~~~(笑) 


姿勢ってなかなか整わないですよねぇ 


姿勢を調えようと思っても、最初の気分でもう整わない。それこそ心が邪魔する。 


新体道の基本の姿勢「正立」これがピシって決まると、し~んってなるんですが、これが、気をつけの姿勢から少し前に重心が移動したところになります。 


普通に。気をつけ! ってすると。頭は重いので、後ろ体重になっちゃいます。なので少し前屈みと言うか、倒れ気味な感じになりますが、これがうまく行かない。 


なんか嫌な事あった後だと、腰が退けるというかね。後ろ重心になってしまう。 


「嫌な事あった後だと、腰が退ける。後ろ重心になる」んだったら。これを逆用してしまえば良い話。 


普通人間は、立つ時に揺いでいます。建築物のように、ぴちっとは止まっていません。これが当たり前。これを逆用する。 


興味深いのですが、この時、自分にとって当たり前の質問をして、自分で応えてみます。自問自答するわけです。 



喩えば 
「私は男ですか?」「ハイ男です」みたいに 


かなりの確率で、ほとんどの人が、カラダが前傾して、体重が前よりになります。 
ならない人も、いなくはないですけどね。 


これは、好ましい言葉を思い出したり、スキな食べ物を想像しても同じ事が起きます。 


つまりカラダが、勝手に「正立」に近づくわけです。あとは微調整。 


心が邪魔して無になれないのなら、心を逆用してやるわけです。 



我々のカラダには「スイッチ」がたくさんあります。これは心も同じ、「無になれない」と悩むのではなくて、手綱をうまく操作すれば良いだけの話な訳です。 


こういった事はいくつかの大事な事を教えてくれますね。 
ココロとカラダは結びあっている、とか 
ココロもカラダも我々の本質、それ自体ではない、とか 
ココロもカラダもスイッチが大量にあって、それをうまく入れると、空無を経験する、とか 
ココロもカラダも実に騙しやすい、とか 
ココロもカラダも巧妙に噓をつくとかね 


カラダはココロに従うものです。またカラダが変わればココロもそれに連れて変わるものです。つまり「私は優しい」と自己暗示を掛けると優しくなるとかね。カラダが丈夫になるとココロも強くなるとかね。つまり「私は無である」と思う事から始めてゆけば、無を受け入れるカラダになって、やがて無に肉迫するんじゃないでしょうか? もちろん「私は」と思った時点で無じゃあ無いので、「私は」が消える位、全身全霊で無を追求するんです。そうすると、ココロかカラダ、もしくは両方のスイッチがパチンと、入るもしくは切れる。


その時まさしく無を経験するんじゃないでしょうか? 先人の多くが無の悟りを得た瞬間って、このパチンによくにてます。このパチンは結構簡単に起きるとも言っています。




新体道は、このパチンだらけの稽古体系です。




新体道がある、と言う事は。私たちには希望があるということだと思います。



☆~…*※☆☆~…*※☆☆~…*※☆


三鷹稽古会は、
月曜日 19時~20時45分

三鷹駅より徒歩5分ほど、南口を出て「風の散歩道」を歩いてください。フランス料理店を過ぎ、骨董品屋さんの手前を右に曲がります。左手に見える「沙羅舎」こちらの地下「舞遊空間」をお借りしています。





………・・・………・・‥………・☆.:*:・'゜

ほびっとむら稽古会は、
月一回火曜日 19時~20時45分

西荻駅より徒歩5分ほど、南口を出て左へ、南北に走る通りから、銀行の角を曲がり荻窪方面へ。喫茶店をすぎ、八百屋さんのある通建物の3階本屋さん「なわプラサードの奥のお部屋です。







☆~…*※☆☆~…*※☆☆~…*※☆

国立稽古会は、
木曜日 19時~20時45分

国立駅より徒歩7~8分ほど。

南口を出てロータリーから「あさひ通り」を歩いてください。コンビニエンスストアの角を左に曲がります。左手のスポーツジム、カラオケ屋さん、右手に見えるNTTを過ぎてさらに進み、皮膚科を過ぎると、「東地域防災センター」の縦看板が腰ぐらいの高さに見えます。そこを右手に入って奥「東地域防災センター」こちらの2階を主にお借りしています。

※注意※会場は変わることがあります。


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新体道・東京西地区新体道連盟
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